映画「生まれ変わりの村」・・良くなったとしてもそこからまた「成長」と「学び」の要素を見つけ出し 2014/12/28 7:34 AM 過去の自分や今の自分を否定して、良くするのが「成長」と「学び」の概念だと思います。 そして、良くなったとしてもそこからまた「成長」と「学び」の要素を見つけ出します。 こうして否定が終わることはないのです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「生まれ変わりの村」・・自分探し 映画「生まれ変わりの村」・・縁に失礼 » コメント まりん より: 2014/12/28 15:41 学びや成長の大元は過去への否定があるだけでなく、学んで成長してもさらに未来にわたって否定要素を見つけだしていく。。。そのとおりです。良くしようとして良くなったとしても良くならなかったとしても、否定から始まってるから次もさらに否定が続いてる、否定の繰り返しをしてきたのだと思います。生まれ変わりのしくみにまで否定の繰り返しをしてるのがカルマ。。。そんな否定の循環では何度生まれ変わっても否定しか見えなくなるのだと思います。すごく悲しくなります。でも、私以上に悲しくなるのは。この世界や私たちや存在すべてを作った神だと思いました。この世界や私たちが存在しているというだけで、すでに肯定されてること、物理方程式が例外なく平等に作用してることもそうです。それなのに、世界も自分も否定して神を否定してきたのだと。学びや成長というのが神を否定することにつながるとは思いもよらなかったです。 トークショーのもりけんさんは、そんなルールの神を感じてるのがものすごく伝わってきて身振り手振り全身で学びや成長にぶち切れてくれて、否定なんてないこと、すでに存在してるだけでものすごく肯定されてること、すごく感じました。写真からもよみがえってきます。 小町 より: 2014/12/28 16:16 成長が生きる意味だとなっていたと思います。学びも真似から入るのに非常に美化されてしまったと思います。出来なければダメのレッテルがつきまとうから現状から抜け出せばいいが否定の自分になりやすいし、過去もそんな目で見てしまうのが苦に人生がいつのまにか修行とか言い出していたと思います。トークショーで朝がとても楽しくなってきます(笑)前は朝かよって、感じで起きていました。 なんしぃ より: 2014/12/28 23:05 きりがないと感じました、成長とか学びということを持っている限り、満足や幸せは得られないと感じました。今あることに感謝をできない考え方だと感じました こはな より: 2014/12/28 23:37 繰り返してしまうのだと思いました。でももりけんさんは生まれ変わりの村と出会われて、生まれ変わりは、カルマの概念の元にある輪廻転生と同じですが・・お話してくれたことは、否定ではなかったです。
学びや成長の大元は過去への否定があるだけでなく、学んで成長してもさらに未来にわたって否定要素を見つけだしていく。。。そのとおりです。良くしようとして良くなったとしても良くならなかったとしても、否定から始まってるから次もさらに否定が続いてる、否定の繰り返しをしてきたのだと思います。生まれ変わりのしくみにまで否定の繰り返しをしてるのがカルマ。。。そんな否定の循環では何度生まれ変わっても否定しか見えなくなるのだと思います。すごく悲しくなります。でも、私以上に悲しくなるのは。この世界や私たちや存在すべてを作った神だと思いました。この世界や私たちが存在しているというだけで、すでに肯定されてること、物理方程式が例外なく平等に作用してることもそうです。それなのに、世界も自分も否定して神を否定してきたのだと。学びや成長というのが神を否定することにつながるとは思いもよらなかったです。
トークショーのもりけんさんは、そんなルールの神を感じてるのがものすごく伝わってきて身振り手振り全身で学びや成長にぶち切れてくれて、否定なんてないこと、すでに存在してるだけでものすごく肯定されてること、すごく感じました。写真からもよみがえってきます。
成長が生きる意味だとなっていたと思います。学びも真似から入るのに非常に美化されてしまったと思います。出来なければダメのレッテルがつきまとうから現状から抜け出せばいいが否定の自分になりやすいし、過去もそんな目で見てしまうのが苦に人生がいつのまにか修行とか言い出していたと思います。トークショーで朝がとても楽しくなってきます(笑)前は朝かよって、感じで起きていました。
きりがないと感じました、成長とか学びということを持っている限り、満足や幸せは得られないと感じました。今あることに感謝をできない考え方だと感じました
繰り返してしまうのだと思いました。でももりけんさんは生まれ変わりの村と出会われて、生まれ変わりは、カルマの概念の元にある輪廻転生と同じですが・・お話してくれたことは、否定ではなかったです。