映画「ワンネス」 低次元か高次元か? 3
これはゼロ次元のイメージ図です。
数学的定義によれば、ゼロ次元は点、一次元は線、二次元は平面、三次元は立体です。
つまりゼロ次元は点のはすです。
しかし点では、映画として「見ること」ができません。
なので擬似的に、シャボン玉のようなものにしたのです。
次元は高くなるたびに、維持コストが大きくなると思います。
ゼロ次元の維持コストは、おそらくゼロに近いです。
前世記憶がどこにあるかといえば、ゼロ次元だと思います。
物質的な宇宙が全部無くなっても、次の宇宙ができるまで、ゼロ次元にいれば良いからです。
モールスの話から、次元は落とせば落とすほど「いつでもでこでも」になってくることがわかりました。
なのでゼロ次元は、どこにでも入っていけます。
映画「ワンネス」ではゼロ次元のことを、別名、情報次元とも呼んでいます。
運命を作り出す本元です。
物理的視点から見ても、正しいのではないかと思っています。
けれどゼロなので、検出することができません。
高次元を扱う映画は多いです。
タイムマシンものも、そのひとつです。
時間というファクターの自由度を上げているわけですから。
でもゼロ次元を扱った映画は、これが初めてだと思っています。
だからこそ、どういうふうに描くのかは、とても重要です。
ゼロ次元の色がとてもきれいだなと思います。ゼロ次元は・だから、見ることができないので、その見えないものを映像でどう表現するかで悩まれていたのだと思いました。見えないものを映像で表現するってこと自体がすごいことだなと思います。・だから○で、そして固定されてなくて、そして、時間的にも、消えてしまうので、固定されていなくて、シャボン玉はそういうイメージかなと思います。いろんなところに浮かんだり消えたりするものかもしれないと思いました。
ゼロ次元、ないものは考えられないと思っていましたが、肉体などの物質がなくなっても存在する情報次元というのが、目から鱗です。
いつでもどこでも、コストの話も面白いです。
どんな風に描かれるのか、シャボン玉、雰囲気を捉えていると思いました。
映画で描かれようとしているゼロ次元は、世界の大元で、世界の大元が、どこにでも入っていけて、コストのかからないものなのだと思いました。ゼロだから検出できない・・とてもすごいお話だと思いました。宇宙がなくなってもそれだけ残っていれば、また宇宙はできるのかもしれない・・と思います。もりけんさんの考えていることは神様の作った世界の大元のことなのだと思いました。それを空間というか、形として、見たり考えたりすることは今までなかったです。映画でもないのだと思います。映画で、私たちがそれを見ることができること・・とてもすごいと思いました。
ゼロ次元に迫ることは、人間の存在、生まれ変わりに迫ることと同じみたいに思いました。ゼロは検出不可能なんだと思います。ほんとにどんなに拡大しても目に見えない世界だと思います。維持コストはゼロに近いと思われるのに、メチャクチャすごい情報を持ってるところなんだと思います。高次元を表す映画はいくつかあるように、多くの人は上へ上へと視点が向くんだと思います。でももりけんさんは下にも向かい、そこに神を見たんだと思います。
HPでゼロ次元の言葉に何回も触れているのに・・ゼロ次元は点、ようやく(自分の中に)入ってきました。、、、
視覚的に見れるように、シャボン玉。ひとつのシャボン玉の中に、いっぱいの情報が入って・・と思いました。
ゼロ次元を映像として見て、知ってる、感じる、を思うのだろうか・・「ワンネス」で、視覚的に見れるのが、嬉しいです。。
世界の大元である情報次元のゼロ次元というのも、森田さんを通して初めて知っことです。そんなゼロ次元はなかなか想像できないけれど、「ワンネス」ではこんな美しいシャボン玉の世界として描かれて、とても身近な世界に感じます。イメージでると、かけ離れた世界ではなく、その世界を思い描いて繋がることができるのがすごいなぁって思いました。ゼロ次元を描いた初めての映画「ワンネス」はこのあとのゼロ次元のイメージの大元になるのではないかと思います。
ゼロ次元のお話がとっても面白いと思いました。今までは、人の興味はは1次元、2次元、3次元…と次元の高い方に向かっていたと思いました。次元が高いほどすごいみたいに思われていましたが、ゼロ次元は運命を作り出す大本なのだと思いました。とてもすごいと思いました。ワンネスのゼロ次元の世界は、ゼロ次元の大本になると思いました。だから、とっても大事なのだなと思いました。
>時間というファクターの自由度を上げている
ということは0次元は時間がないのだと思います。
ところで、図のライトグリーンのバックがグレイなのは、0次元同士をつなぐという意味なのか、それとも、0次元の環境がグレイなのか・・・考えています。
この0次元はライトグリーンですが、他の色の0次元もあるのだと思います。
人によって0次元の色は違うのだと思いました。
ワンネスでは…ゼロ次元を情報次元ともよんでるのですね。前世記憶の情報がどこにあるか…なんかもうほんと わ~!きゃ〜〜〜〜〜!ってなってます。いつでもどこでも!!!じゃ、今、目の前にも〜みたいな。高次元を扱ってあ映画の事例も面白いです。タイムマシンものとか…そうなのですね。行かないといけないものっていうか!ゼロ次元を扱った映画…たしかに…ほんとに初めてだとおもいます。なんかお話伺ってて…すごく独特のものを感じるような気がしてて…いま うー…ってなりました。シャボン玉に乗った男女…すごくきれいでミニマムな感じがあり……私は占い好きなんですが…なにか陰陽五行が喋ってくれてるみたいなふうに見えてます。うぉーーー維持コストゼロの…ゼロ次元!!って?!!!ってなりホント今目の前かもで…ハァハァと息切らしてます。感動してます
今までは漠然と高い次元に私の本体がありこの世が下界で下の世界に降りてきて修行をしに来ているとか思ってきました。高次元には夢のような世界があり皆が幸せに暮らしている自由な天国みたいな世界を思ってきましたが、ゼロ次元は情報次元でもあるならゼロ次元こそ生命に満ちあふれている世界を感じました。ふとワンネスは運命から自由になりたいというよりも自由より根源的真理の世界を感じました。今まで思ってきた固定概念や常識のようなものが崩されるような新事実の最新情報を感じます。
これまでは次元を上げることによって自由度を上げるという世界観が映画などで描かれていたのだと思いました。しかし次元を上げることによる自由には常に非自由が残ってしまうと思います。どこまで行っても陰陽の世界の中で、陰と陽のどちらが多いかという世界観のように思います。ところがゼロ次元は陰陽を超えていると思いました。常に非自由を携えた自由ではなく、全体そのもの。それが「いつでも、どこでも」という状態なのかもしれないと思いました。生死という陰陽の影響力はゼロ次元には及ばず、ずっと生き続けることができるのだと思いました。ゼロコストで永遠に生き続ける情報次元。今まで誰も想像したことのない、前代未聞の世界観が映画「ワンネス」で表現されるのだと思いました。
ゼロ次元のお話、とても興味深かったです。
もりけんさんは、点であるゼロ次元について、擬似的にシャボン玉のように表現されたのですね・・・。ゼロ次元であったとしても、一つの世界観があるのだと思います。男女がいるので陰陽もあって、黄金率の五角形の上に成り立っているのだと思います。
前世記憶の情報がゼロ次元にあって、宇宙が消滅しても、次の宇宙ができるまでゼロ次元にいれば良いからという指摘は・・・おどろきでした。そのような視点は、考えたこともなくて、すごいと思います。
また、次元を落とせば落とすほど「いつでもどこでも」に近づいていき、一番小さなゼロ次元では、どこにでも入っていける状態なのだと思います。
ゼロ次元は、「情報次元」でもあって、運命を作り出す情報が存在していて、運命の本元になっていますが、検出するのは不可能なのだと思います。
これまでの映画では、タイムマシンで時空を行き来するような、「次元」を一つ上げて、自由度を上げる様子は描かれてきましたが、次元を下げること・・とくにゼロ次元まで下げるというのは史上初めてで、「ワンネス」は映画の歴史上初めてのことに挑戦されているのだと思います。
だからこそ、このゼロ次元をどのように描くのかというのは、とても重要なのだと思います。
タイムマシーンは、高次元の乗り物だったんだと思います。あれで時間の上を行ったり来たりしたんだと思いました。本元のゼロ次元を映画にするのは初めてなんだと思います。ゼロ次元をどういう風に描かれるのか・・・みんなに注目されているんだと思いました。
ゼロ次元は、維持するためのコストがほとんどかからないのではないか。宇宙がなくなってまた生まれたときにもゼロ次元は存在し続ける。運命をつくりだす元である。どの性質をとっても、ゼロ次元の重要性、根源的性質、理解を越えている、そんな感想を持ちました。ゼロ次元は点だから本来は見えないのだけれど、映画ではそれを表現していかなければならないのだと思いました。ゼロ次元の性質も見て連想できるようなイメージを工夫されているのだなと思いました。