映画「生まれ変わりの村」・・『君が君だから 在るがままの君で』 2014/10/21 7:43 AM 在るがまま…が出てくるところをもうひとつ紹介します。 『君が君だから 在るがままの君で』 もしもこれが「有りのままの君」だと何か抵抗ないですか? 私はあります。 有りのままには主体性を感じるからです。 握りしめている感じです。 次第に疲れてきそうです(笑) 在るがままは、手放した状態です。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「生まれ変わりの村」・・繋がれば感じ合う 映画「生まれ変わりの村」・・本当の「異変」は出産の時にある » コメント 和佳 より: 2014/10/21 09:08 …なんていうか…ずっとお話聞いてて…そもそも「ある」についてあんまり考えたことなかったなと思いました。 在るがままのでてくる箇所、「君が君だから在るがままの君で」には主体性はないというのがあるんだなと思いました。…でも自分はまず「ある」について…なかなかそこまで考えたこと…ほんとなかったし…おそらくなにもかもを主体性中心に考えてくるのが自然的かとおもってたし…そういう歌しか聞いたことなかったかもって思います。 君が君だから主体性のないままで…というようなニュアンスは…なんていうか生きてて初出で巡りあったかなっておもいました。君が君にだから主体性を保って…はなんか知ってるところの慣れた自然的というかな感覚何かだった気がします、そしてこうして解説の対比によって…あー…在るがままは…なんか違うんだなって思いました。…そもそも「有りのまま」に対比するようなものがあるって考えたことなかったかもです。主体性は握りしめることってのも…考えたことなかったかもって。在るがままは…優しい言葉でありながら…非常に外側の概念なこと(なんというのか…自我では遭遇できそうにないもので…言葉になりにくいもの)を…この…ありのまま…大流行みたいなタイミングで取り出されたみたいな…ううんってなりながら…拝見してます。なんかこの歌詞が…でてきたことがもう手放し状態そのものなのかもって感じさせられました まりん より: 2014/10/21 09:44 昨日は、宇宙は元々在るがままなのに、人間はありのままをヨシとしてきたことに衝撃を受けました。私も宇宙の一部なのに、その一部が全体の宇宙を変えよう変えようとしてきたのだと思います。そのことに気づいてなければこんなに深い歌詞は生まれないです。神の作った世界は在るがままで、有りのままは人間が勝手に作り出したものにすぎないのだと思います。きょう紹介されたフレーズも、在るがままと、有りのままの違いをすごく感じました。その違いを感じられるのも、もりけんさんの歌詞とコメントがあるからです。こんなにも違うフレーズ。。。それは自分と宇宙との関係にも言えることで、今まで自分が目指してたものと元々の宇宙との違いをすごく感じます。存在そのものがそのまま歌われてる歌詞はすーっと心に響いてきます。 なんしぃ より: 2014/10/21 22:05 有りのままには、狭い感じがしました。すごく狭くて窮屈な感じがしました。そして、その有りのままから少しでも変化したら、もう好きではなくなってしまうと言われた気がしました。言葉を発している存在が、在るがままの君と言ってくれることがそれだけでとても幸せでうれしいと感じました 桃有 より: 2014/10/21 22:21 有りのまま…は何か自分というのを出さなくてはいけない感じがします。力ごはいってだんだん疲れてきそうだなと思います。在るがまま…はそのままでいい感じです。力んでなくて、自分を手放して何か軽い感じがするなと思います。 こはな より: 2014/10/21 23:43 あります。というか・・・言われて気づいています(笑) 在るがままは全部、いつの君もどんな君も、なんでもない君、ただの君とか・・・そしたら在るがままは存在そのままな気がして、嬉しくなりました。 有りのままは疲れてしまうから、在るがままでいいよと言ってくれるの嬉しいです。 小町 より: 2014/10/21 23:45 自分だと主張したい時はありのままだと思います。自分がどんなになっても自分だと受け入れるのはあるがままだと思います。有りのままは疲れる、正当性を感じます。自分が自分であるのに何もいらないはずです。自分に価値観を持てばその時点で自分というのもの価値観を追い求めてしまいそうです。これが無ければ自分ではない、それが無くなるのは避けたい、少なからず私だって持っています。でもそれは非常に疲れます。すきだと思う人に私はこれって、定義した時点で自分が思う以上に相手はダメージになると思います。変化も受け入れるのが在るがまま、本当にとてもホッとします。
…なんていうか…ずっとお話聞いてて…そもそも「ある」についてあんまり考えたことなかったなと思いました。
在るがままのでてくる箇所、「君が君だから在るがままの君で」には主体性はないというのがあるんだなと思いました。…でも自分はまず「ある」について…なかなかそこまで考えたこと…ほんとなかったし…おそらくなにもかもを主体性中心に考えてくるのが自然的かとおもってたし…そういう歌しか聞いたことなかったかもって思います。 君が君だから主体性のないままで…というようなニュアンスは…なんていうか生きてて初出で巡りあったかなっておもいました。君が君にだから主体性を保って…はなんか知ってるところの慣れた自然的というかな感覚何かだった気がします、そしてこうして解説の対比によって…あー…在るがままは…なんか違うんだなって思いました。…そもそも「有りのまま」に対比するようなものがあるって考えたことなかったかもです。主体性は握りしめることってのも…考えたことなかったかもって。在るがままは…優しい言葉でありながら…非常に外側の概念なこと(なんというのか…自我では遭遇できそうにないもので…言葉になりにくいもの)を…この…ありのまま…大流行みたいなタイミングで取り出されたみたいな…ううんってなりながら…拝見してます。なんかこの歌詞が…でてきたことがもう手放し状態そのものなのかもって感じさせられました
昨日は、宇宙は元々在るがままなのに、人間はありのままをヨシとしてきたことに衝撃を受けました。私も宇宙の一部なのに、その一部が全体の宇宙を変えよう変えようとしてきたのだと思います。そのことに気づいてなければこんなに深い歌詞は生まれないです。神の作った世界は在るがままで、有りのままは人間が勝手に作り出したものにすぎないのだと思います。きょう紹介されたフレーズも、在るがままと、有りのままの違いをすごく感じました。その違いを感じられるのも、もりけんさんの歌詞とコメントがあるからです。こんなにも違うフレーズ。。。それは自分と宇宙との関係にも言えることで、今まで自分が目指してたものと元々の宇宙との違いをすごく感じます。存在そのものがそのまま歌われてる歌詞はすーっと心に響いてきます。
有りのままには、狭い感じがしました。すごく狭くて窮屈な感じがしました。そして、その有りのままから少しでも変化したら、もう好きではなくなってしまうと言われた気がしました。言葉を発している存在が、在るがままの君と言ってくれることがそれだけでとても幸せでうれしいと感じました
有りのまま…は何か自分というのを出さなくてはいけない感じがします。力ごはいってだんだん疲れてきそうだなと思います。在るがまま…はそのままでいい感じです。力んでなくて、自分を手放して何か軽い感じがするなと思います。
あります。というか・・・言われて気づいています(笑)
在るがままは全部、いつの君もどんな君も、なんでもない君、ただの君とか・・・そしたら在るがままは存在そのままな気がして、嬉しくなりました。
有りのままは疲れてしまうから、在るがままでいいよと言ってくれるの嬉しいです。
自分だと主張したい時はありのままだと思います。自分がどんなになっても自分だと受け入れるのはあるがままだと思います。有りのままは疲れる、正当性を感じます。自分が自分であるのに何もいらないはずです。自分に価値観を持てばその時点で自分というのもの価値観を追い求めてしまいそうです。これが無ければ自分ではない、それが無くなるのは避けたい、少なからず私だって持っています。でもそれは非常に疲れます。すきだと思う人に私はこれって、定義した時点で自分が思う以上に相手はダメージになると思います。変化も受け入れるのが在るがまま、本当にとてもホッとします。