あなたが笑えばあなたはギバー
あなたは周りの外応だから
あなたが怒ればあなたはテイカー
あなたは周りの外応だから
脇役はイヤ? チッチッチッ、ギブすればぐるっと回ってあなたに還る
結局あなたは主人公
映画の中に、ミュージカルが登場します。その3番の途中までがこれです。
ラップ調で歌います。
昨日、神は問いに答えてくれると書きました。
それを外応と言います。
自分は神から得るだけではありません。
神にも与えます。
ここで言う神とは周囲のことです。
あなたが外応になるとすれば・・
笑えば周囲に対して幸せになるためのサインを送ることになるのです。
これは自分が主人公ではなく、脇役とも言えます。
でも水鉄砲の水が螺旋だったように、ぐるぐる回るのです。
循環します。
するといつの間にか、あなたは主人公です。
笑いが発端だとすれば、ぐるりと回って、やっぱり笑いが還ってくるのです。
私の意見としては、自分が脇役と思うほうが大事だと思います。
オンリーワンという単語がありますが、誰でもがオンリーワンなわけです。
けれどオンリーワンを追求しすぎると、周囲との繋がりが減ると思います。
脇役としての意識を持ったとき、繋がりは増えるはずです。
自分が笑えば、周りも笑う、と理屈では分かっていてもなかなかできなかったりします。でも、嵐の後の太陽のような笑顔もあるのかもしれないと思ったりします。
ぐるっと回って自分に戻ってくる。神(外側)との螺旋関係が自分が脇役でありながら主役でもあることを成り立たせているのだと思いました。すごい仕組みです。オンリーワンを追求することはわざわざその螺旋関係を崩すことにつながるのだと思いました。それはつまり外側とのつながりを断ち切ることであり、自分が脇役にも主役にもなれない、とても孤立した状態になるのだと思います。オンリーワンの追求は孤独への道と心得ていた方が良いとすら思えます。
もりけんさんのデータ本を読んで、神でさえも脇役に徹している気がして脇役というものにとても魅力を感じるようになってきました。神はこうあるべきだとか世の中を変えようと自己主張したりしなくて人間を何かの価値観で裁いたりしないで双方向の関係を保ち続け誰にでもどんな問いにでも答える姿にメイドさんとか脇役を感じます。神は魅力的です、その神が脇役や弱者や凡人に対等にいてくれる感じがして神を好きにならずにはいられません。
>水鉄砲の水が螺旋だったように、ぐるぐる回るのです。循環します。…というところにめちゃ感銘を受けてて…そうなるといいサインは早く回したいし…なにかあったらどっかで笑い飛ばしたいような気がします。笑う時って自発的に笑うってわざと以外はむずかしく…なにかを受けてわらうんだとおもうんですが…なんだか主体性の手放しに近いような気がします。そうしたらあなたが主人公なのかなって…なんだかすごいお話に思います
オンリーワンって、周りを見えなくするところもあると思いました。
「黙って俺について来い」って、後ろを振り向けないです。気配がないと振り向くと「あれ?いない」とか。(爆)
肩に力も入るなと思いました。
みんなオンリーワンは当たり前なんだと思いました。当たり前のことをあえて言わなくてもいいし、追求する必要もないと思いました。追求しすぎると、逆につながりが切れてしまう・・つながりが切れたオンリーワンはとてもさみしいと思いました。意識はわき役の方がつながりを感じられるんだと思いました。
昔友達にあんたって「唯我独尊」だねぇって言われたことがあります。ハッキリとした意味はいまだに良くわかってないですが、自分が一番偉いんだと・・だから誰の意見も聞かない・・・ワガママ・・・ということだと思っていました。まさに特別なオンリーワンだったのかなと、頭も悪いくせに・・・と今は思えます。脇役に徹するところまでは、いけなくても、そろそろいいんじゃない脇役で・・・他の人の意見も聞いて、それもアリかも・・・・って思うようになりました。誰でもオンリーワン・・・それをみんなそうなんだと認めることなのかなと思いました。
神は周囲であり、たえず脇役なのかもしれないなぁと思いました。そんな脇役は繋がりがふえることでもあるのんだと思います。神が脇役のように周囲として存在してるのは、繋がりを増やすためなのかもしれないなって思いました。今までの神は主役であり絶対的な存在のように言われてきたけれど、その逆で、脇役で相対的な神を思いました。
水鉄砲が螺旋になって、循環するように自分のやっていることも循環しているのかと思います。自分が内側に向くときは世界は狭いと思います。何もしないで、期待ばかりが大きくなってくると思います。脇役でやれることをやろうとすると循環になるんだと思います。誰もひとりでは無いから、主役は相手にと思っているうちにいつの間にか笑顔が巡ってくるのが螺旋になると思ってきます(笑)
脇役・・とてもいいです(爆)・・主役になりたいけど、どうせ無理さ。。って考えるより、いきなり脇役ならば、緊張しないし、脇役っていう役で、何だかとても素敵と思いました。脇役だと思うことが大事だよ・・とは言われたことはありません。かなり目からウロコです。主役だと主役の座を奪われたくはない・・とかあると思いますが、脇役ならばずっと脇役でいられるだろうなと思いました。ほんとに考えたことはなかったです。だけどかなりきました(笑)・・プレッシャーからも放たれる言葉だと思いました。
脇役でもあるし主人公でもあれけれど、脇役であることを意識した方がつながりが切れないは、実体験としてそうだなと思いました。最近、DVDをみるとき、繰り返しみているものは脇役がどんな風に演技しているかに注意がいっています。名もセリフもない役の人も、それぞれ演じて、そのシーンんを作り上げています。ほとんど風景なんだけれど、一人でも手を抜けば、シーンもしらけてしまうだろうと思います。普段、日常生活でもそういった脇役であることの方が多いのだろうけれど、その場その場をつくり、またその影響をうけから、やっぱり笑顔でいられるように演じた方がいいなと思いました。