映画「生まれ変わりの村」・・何かを要求するものではない。要求されることは何も無い

2015/03/02 6:55 AM

 
「神との対話」の続きです。
 神は言います。
「カルマが、発展したいという内的欲求をさすのであれば、そしてその物差しとして過去の出来事や経験を眺めるということであれば、カルマは存在する。だがそれは何かを要求するものではない。要求されることは何も無い」
 今まで言われてきたカルマは、何だったのでしょう。「カルマはある」と人に説教するとき、まるでその人は裁く神のようでした。明日からは裁きについてです。


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コメント

  1. 小町 より:

    カルマから要求されないと明言している神がすごいです。自分の行いが未来永劫に影響するとずっと言われ続けてきたものは無かった、すごくホッとします。カルマは一気に過去の自分の楽しかったものになるのを感じます。人にこれが正しいと言ってしまうことがあったかもしれないです。正しいことをすれば、カルマは解消されるみたいにカルマはずっと悪く言い続けられていたのが何てことと思います。

  2. こはな より:

    カルマは過去の経験からの自分の中の物差しでも・・要求したり、されたりするものではない・・説教する必要も、説教されたりする必要もなかったのだと思います。

  3. まりん より:

    神は何でもお見通しだって思いました。過去や前世に経験したことと今の自分がやってることにつながりがあるだけなのに、それを物差しではかってカルマを作った、そう言ってるのだと思います。
    要求なんて何もない神は、カルマの神とは全然違って、めちゃめちゃスケールがでかいです。

  4. なんしぃ より:

    何かを要求したり、要求されたりしなかったこと、とても安心しました。カルマということに対して、裁きだとは神は言っていないと思いました。過去の出来高や経験を発展させたいという内的欲求は、裁きではないと伝えてきていると感じ、神がカルマというものが、過去の出来高や経験に対して、発展させたいという内的動機は無心で無我夢中ですることであって、目的とか目標を持って意識ですることではないと伝えてきている感じがしました

  5. まるこ より:

    この神が言っているカルマには否定的要素は全く感じられないです。外から何かを求められることと、これまで言われてきたカルマがこのように繋がっているとは思いませんでした。カルマを意識していなくても、何かを求められていると無意識的にずっと思ってきているように感じます。だから逆に人にも求めるという連鎖があるようにも思いました。

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