映画「生まれ変わりの村」・・外応が神からの通信だとすれば、今回の現象も、神のひとつの現れかも知れません

2015/01/27 7:32 AM

神との対話表4 
「神との対話」の裏表紙です。
 人生がうまくいかないでボロボロの気持ちの時、神が答えてくれたのです。
 手法は、自動書記です。
 おそらく彼の無意識が文字になったと思います。
 ということは、一介のアメリカ人が無意識に想っていたことが表出したのかも知れません。
 でも心理学者のユングに言わせると、無意識は全体とも繋がり、それは集合無意識とも呼ばれます。
 外応が神からの通信だとすれば、今回の現象も、神のひとつの現れかも知れません。


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コメント

  1. なんしぃ より:

    人生がうまくいかないで、ボロボロのとき、それは誰にでもある、起こりうることだと感じます。どんな人でも、人生の分岐点というか、なにか思い通りにならなかったり、思ってもみないことが次から次とやってきて、ボロボロのとき、この本の著者がしたこと、神に問いを発したのだと思いました。ボロボロのとき、問いを発したのだと思いました。神は自動書記という形で、答えてくれた、返事をくれたのだと感じ、神は問うと答えてくれ、返事をくれるのかもしれないと感じ、神が無意識と関係があるのかもしれないと感じました。国や時代も関係がない、無意識というものが、ギリシャ神話の時代からも今もずっと、人間とともに生きているのかもしれないと感じました

  2. こはな より:

    彼はきっと無意識に書いたと思います。そしてその神は・・もりけんさんの書かれたように、ユングさんの言っている集合無意識とつながっているなら・・神は大きいです。個人でなくて全体だと思いました。外応も、何かを伝えてくれるのは、周りを総動員させて起こるのも、大きな全体だと思いました。著者さんはたった一人の神と対話しているようで、全体の大きな神とお話されてたのかもしれないと思います。もりけんさんがユングさんや外応のお話されて、この著者さんのお話されてた神の印象が変わりました。

  3. まりん より:

    彼自身、一体何がおこってるかわからないままに自動書記で書かされていたのだと思います。そのこたえは昨日アップされた内容のように、キリスト教の神を超えるこたえでした。彼の意識ではない何か。。。それはユングさんともりけんさんの研究データから、集合的無意識や外応として神との通信があったのだと思います。けれど、彼はその当時いったい何が起こってるのかもわからないまま、裏付けすらないまま、必死で書き続けすべてを表出されたのだと思います。こうしてもりけんさんの指摘がなければ気づかなかったことで、神の性質はここにも現れてるのだと思いました。

  4. まるこ より:

    この本が流行った理由も、もしかしたら無意識層と関係があるのかもしれないと思いました。一介のアメリカ人が無意識で想っていたことは集合無意識として民族や宗教や人種を超えて通じるものがあったのかもしれないです。
    神が通信のボタンを押して著者のペンを動かした。それを世界中の人が読んだということは、この本の読者全員と神が通信を取ろうとしたのかもしれないです。そして神はどういう内容の通信を行えば、多くの人が読むかということまで分かっていたのかもしれないです。

  5. 小町 より:

    無意識が彼の中で応えようと、全体のつながりを使ってくれたかのようだと思いました。神が応えてくれる現象がここにも出てきていると思います。ふと回路が開くように会話が始まって、神が関わってくるひとつの形なんだと思いました。

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