映画「生まれ変わりの村」・・神は「忘れる」ほうに努力した 2014/11/14 7:43 AM 私たちは「記憶を保持する」ほうに努力します。 忘れっぽいのは自分がバカだからと思っているフシもあります。 でも・・ きょうの私の仮説は・・ 神は「忘れる」ほうに努力した。 だってあの世にスープを作りました。 そしてこの世でも、忘れるほうに、人を誘導しています。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「生まれ変わりの村」・・「前世を記憶する子供たち」 映画「生まれ変わりの村」・・潜在意識は詳細に至るまで覚えている » コメント 小町 より: 2014/11/14 08:00 人は忘れることを良しとしないと思います。いろいろなことを記録しておきたい性質があると思いました。でも、神は逆に「忘れる」を与えてくれて、まっさらな状態にしてくれていると思います。神の平等なところをすごく感じると思います。 和佳 より: 2014/11/14 08:19 拝見しながら、確かに…私は記憶保持に勤めてるし 忘れっぽいのは自分がバカだからとおもってるとおもいました。…忘れると…毎回いろいろしないといけなくなるし、ほかの人に迷惑かけたり…なんというか支障、不連続みたいなことがおこりやすく…忘れることを良しとはしてないと思います。 森田さんの仮説は飛んでます。神は忘れる方に努力してるかもしれないのだなと思いました。あの世のスープをつくったりこの世でも忘れる方に人を誘導してるというのは…忘れるほうに努力してるからかもしれないのだと思いました。神様と忘れること…なんかとても興味深いです まりん より: 2014/11/14 11:48 今朝の仮説に、がーんとなってます。物心ついたころから、覚えることが大事でいろいろな知識や情報を忘れないように努力してきたし、忘れないでねとか言ってきました。忘れるのは自分の記憶力がないからで、忘れっぽい自分をバカにもしてきました。今朝の仮説に目からウロコです。私たちは忘れないことを重視してきたけれど、神はあの世にスープを用意して忘れることを重視してるのだと。スープを飲んで生まれ変わった今もどんどん記憶は蓄積されていくほど過去の記憶から説明しようとしたり、わかった気になったりします。記憶を保持するほど頭でっかちになってるのかもしれないです。神は忘却のスープを作りその人から記憶を切り離してこの世に送り出したのは、私たちが過去の記憶に縛られたり過去に生きようとしないようにする神の優しいシステムかもしれないと思いました。忘れるか忘れないかで、神の視点と、私の視点は真逆なことに目からウロコです。 なんしぃ より: 2014/11/14 23:09 なにか、手放していいんだ、おまかせでいいんだと思えてきました。忘れないようにとか覚えていようとすることで、いろんなことを見落としたりしているかもしれないと感じました。覚えるということに一生懸命になればなるほど、周りが見えなくなってしまう感じがしました。神は自分よりも手放して相手を信頼しなさいと伝えてきている感じがしてきました 浅葱色の苔 より: 2014/11/14 23:29 覚えていたいことでも、いつの間にか記憶が薄れています。繰り返し思い出していないと細部は消えてしまいます。時が記憶を連れ去っているようにも思えます。そして、忘れることを知っているから覚えていようとするのだし、忘れることで生き続けられることもあり、単に忘れさせるためだけに忘れるシステムを組み入れたのではないような気がします。 こはな より: 2014/11/15 00:50 忘れるのは神様の作られた技術なのだと思いました。だから忘れるでいいのだと思います。忘れるので忘れないようにもしているのだと思います。神様はそれでも残るものをしりたいのかもしれないと思いました。
人は忘れることを良しとしないと思います。いろいろなことを記録しておきたい性質があると思いました。でも、神は逆に「忘れる」を与えてくれて、まっさらな状態にしてくれていると思います。神の平等なところをすごく感じると思います。
拝見しながら、確かに…私は記憶保持に勤めてるし 忘れっぽいのは自分がバカだからとおもってるとおもいました。…忘れると…毎回いろいろしないといけなくなるし、ほかの人に迷惑かけたり…なんというか支障、不連続みたいなことがおこりやすく…忘れることを良しとはしてないと思います。
森田さんの仮説は飛んでます。神は忘れる方に努力してるかもしれないのだなと思いました。あの世のスープをつくったりこの世でも忘れる方に人を誘導してるというのは…忘れるほうに努力してるからかもしれないのだと思いました。神様と忘れること…なんかとても興味深いです
今朝の仮説に、がーんとなってます。物心ついたころから、覚えることが大事でいろいろな知識や情報を忘れないように努力してきたし、忘れないでねとか言ってきました。忘れるのは自分の記憶力がないからで、忘れっぽい自分をバカにもしてきました。今朝の仮説に目からウロコです。私たちは忘れないことを重視してきたけれど、神はあの世にスープを用意して忘れることを重視してるのだと。スープを飲んで生まれ変わった今もどんどん記憶は蓄積されていくほど過去の記憶から説明しようとしたり、わかった気になったりします。記憶を保持するほど頭でっかちになってるのかもしれないです。神は忘却のスープを作りその人から記憶を切り離してこの世に送り出したのは、私たちが過去の記憶に縛られたり過去に生きようとしないようにする神の優しいシステムかもしれないと思いました。忘れるか忘れないかで、神の視点と、私の視点は真逆なことに目からウロコです。
なにか、手放していいんだ、おまかせでいいんだと思えてきました。忘れないようにとか覚えていようとすることで、いろんなことを見落としたりしているかもしれないと感じました。覚えるということに一生懸命になればなるほど、周りが見えなくなってしまう感じがしました。神は自分よりも手放して相手を信頼しなさいと伝えてきている感じがしてきました
覚えていたいことでも、いつの間にか記憶が薄れています。繰り返し思い出していないと細部は消えてしまいます。時が記憶を連れ去っているようにも思えます。そして、忘れることを知っているから覚えていようとするのだし、忘れることで生き続けられることもあり、単に忘れさせるためだけに忘れるシステムを組み入れたのではないような気がします。
忘れるのは神様の作られた技術なのだと思いました。だから忘れるでいいのだと思います。忘れるので忘れないようにもしているのだと思います。神様はそれでも残るものをしりたいのかもしれないと思いました。