映画「和」 人生はドキュメンタリー&フィクションか?

2014/01/28 9:32 AM

  
 映画「和」はドキュメンタリーとフィクションの両方あります。
 ドキュメンタリーはインタビューなので、私が台本を書けません。
 答えの取捨選択は意識がやりますが、たかが知れています。
 つまり向こう側から来た返答に支配されるのが、ドキュメンタリーの部です。
 フィクションは、私がほとんどすべてを支配できます。
 これは私たちの人生に似ていないでしょうか?
 自分で計画をして実行するのがフィクションの部です。
 しかし外側(ドキュメンタリー)は、どう出るか予想がつかないときが多いです。


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コメント

  1. なんしぃ より:

    相手にとって私は外側になってる感じがしました。そうだとしたら意識的に相手を変えることはできなくて、相手をコントロールできなくて、自分のためとか相手のためとかほんとうは入り込めない感じがしました。意識でやることはフィクションであり、意識が無意識に従い無意識が求めていることに従っているとき、自分が相手のドキュメンタリーになっている感じがして、自分にとっても相手にとっても意識が主体ではない状態がドキュメンタリーである感じがしてきました

  2. まるこ より:

    映画監督といえば全てを支配しているイメージがありました。でもドキュメンタリーに関してはほんとうに限られた部分しか意識でコントロールできないです。もともとの素材がどういうものになるか分からないのだと思います。私たちの人生もそうです。出会ったことには意識で対応できますが、何に出会うかまでは全く関与できないです。意識を強く持てばそこまでコントロールできるという考え方もありますが、それこそたかが知れているように感じます。

  3. こはな より:

    人生は、予測できないものと、予測できるものとで出来ているのかもしれないと思いました。けれど、もりけんさんやトラさんのお話されている「外応」は、その予期しない外側の返答が、私の人生と関わりを持っている・・ということなのかもしれないと思いました。

  4. どせい より:

    「映画監督」といえば、映画製作においては、絶対的な存在で、いわば「神」のような立場だと思います。フィクション映画でれば、ほとんど全てを支配できますが、ドキュメンタリー映画では、外側に支配されることもあって、やれることは限定的なのだと思います。
    もし、この時空の台本ともいえるルールを作った神のような存在がいたとしたら、その書いたドラマも・・・もしかしたら、ドキュメンタリーなのではないかと思いました。そして、時空がドキュメンタリーであったとしたら、「台本」はあるかもしれないですが、台本を書いた神ですらどう出るか予想がつかないときがあるのではないかと思います。実際にふたを開けてみなければ、わからないときがあるのではないかと思いました。

  5. 小町 より:

    もし何もかも決めている人生をやって、楽しいのだろうかはずっと思ってきました。決めてきたはすごく自分だけのためで他の人なんかそこに入る余地は無いような気がします。フィクションはその計画にも似ていると思います。監督のもりけんさんはフィクションは自分の意のままなのを自覚しています。自由にこの登場人物をここに配して、こんな出来事があってとか決められます。でもドキュメンタリーは大筋はもりけんさん側になるけれど、その答えは制御できないと思います。答えは千差万別です。そこに驚きと楽しさがあるのはやってみて、初めて感じることだと思います。自分は変わらないと思っても答えで反応は変わってきます。人生も大筋は一緒でも反応によって、いつも違ってくるのはドキュメンタリーな部分が多いにあります。ひとつの答えより違った答えを聞きたいと思ってくるのがドキュメンタリーに近いのが人生だと思います。

  6. まりん より:

    フィクションは監督であるもりけんさんが台本をかいてるけれど、ドキュメンタリーは神が台本を書いてるのかもしれないのだと思います。その両方が入ってる「和」は、もりけんさんと神の共同制作みたいです。そもそも、ドキュメンタリとフィクションが1つの映画になること自体、とても斬新でほかに無いのは、その2つを切り離して考えてるからだなと思いました。けれど、自分の人生に置き換えてみたとき、どれほどフィクションのシナリオを描いたとしても、予想つかないドキュメンタリーの展開が次々起こってます。それは、フィクションあり、ドキュメンタリーありで、そのふたつは切り離されてないからなのだと思いました。

  7. みっく より:

    フィクションとドキュメンタリーが同居してる「和」はほんとに人生と似てると思いました。計画してそれを実行しようとすることが多くありますが、思うようにならないことも多いです。フィクションを作り上げてるつもりでも、そのとき、その場に応じて、計画変更はざらにあるなと思います。さらにまったく計画になかった思いがけないこともどんどん起きて、それに合わせて生きているように思います。

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