映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その9)

2015/03/13 7:46 AM

 「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 なぜ人間は審判をしたがるのでしょうか。
 私の仮説は、自由が怖いからだと思います。
 法制度を作るのも、自由が怖いからです。
 涅槃に行きたがるのも、自由が怖いからです。
 だから今回の神の一言に私は注目したのです。


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コメント

  1. 小町 より:

    審判をして相手を縛るけれど、それは自分にも向けられるこんなことしてどう思われるかを考えてしまうのは日常でも絶えないからです。自由にしていいことでも右にならえをしていると思います。自由が怖いからいろいろと良い悪いを判断するのは本当に神の言う審判したがるのだと思います。涅槃には悪いことが無いかもしれないけれど、きっと耐えられない気がしてしまいます。

  2. まるこ より:

    自由が怖い・・・その通りだと感じます。あるがままで良いと思っていても、ふと「こんなことしてていいのか・・・」とか思うときがあります。自分で自分を審判しています。もし自由を恐れていなければ、そうは思わないんじゃないかと思います。それは、あるがままが怖いということでもあるのかもしれないと思います。自由を怖がっていなければ、あるがままを信頼して、審判することは無くなるような気がします。

  3. まりん より:

    自由がこわい。。。自分では意識したことなかったけれど、審判やカルマを作り出し、法律や刑罰を作り出して、ガチガチにしてる自分たちを思うと、ほんとに自由とは反対に向かって走ってるみたいです。自由から逃げるために、未知の不安や孤独から逃れるために、必死で審判や裁きを作り出してきた私たちへの神のことば、核心を突いてます

  4. こはな より:

    自由が怖いので、自由を無くそうとして、自由が無くなると、安心しているのだと思いました。

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