映画「和」に背景音楽が入りました。
トラさんが戦争を肯定する発言をするとき、バッハの曲が使われました。
この映画はひと言で言えないです。
自分で言うのもなんですが、視点が広いと思います。
後半で空手の型とスクランブル交差点が出てきますが、ここの背景音楽は取りました。
ラストシーンの主題歌に向かうためです。
「何を成長と呼ぶのか?」は、数日前にここのテーマになりました。
映画でも暗に問いかけてくると思います。
この映画を見てあなたは何て答えるのでしょうか・・。
「和」はスタッフの間で、とても評判が良いです。
とても中立だと言うのです。
成長は中立を崩すことかも知れませんね。
トラさん、戦争の肯定、バッハの曲、空手の型とスクランブル交差点・・書かれた言葉だけを見ても、いったいこの映画が何なのか想像がつかないと思います。大抵の映画はそうではないです。監督がその映画について一言書けば、「ああ・・この映画は〇〇についての映画なんだな・・」と察しがつくと思います。それだけ映画「和」は視野が広いということなんだと思います。それはつまりよくワカラナイ、ひとことでは言えないということなのだと思います。別の言葉で言えば、どこに向かっているのかワカラナイ。どこにも向かっていないということなのではないかと思います。成長には強い指向性を感じます。絞られた視野と特定の価値観がなければ成長は成り立たないです。そこには中立性は感じられないどころか、中立性の否定があると思います。成長は中立性を崩すこと。ほんとうにそのとおりではないかと思います。
映画とても楽しみです。トラさんとバッハ、空手にスクランブル交差点…いったいどんなことになってるのかちょっと想像がつかないところがあります。暗になってるテーマが「何を成長と呼ぶのか?」なんですね。自分はボサーっとしてるので…内緒のテーマ伺えて嬉しいです。スタッフのかたは、そういう視点の広さや暗在するテーマをもった映画を見て…中立だって表現されたのだなと思いました。それをきいた森田さんはなんか思うところがあったのだなと思いました。成長というのは中立を崩すことではないかというのは考えさせられました。なにか…ふっとですが…スタッフさんがいってる…チュウリツというのは……どっか…成長がどうのという次元とは全く違うことなんだなって感じました。中立だ…にはまったく崩れを感じないです。人によっては「中立できるそれが成長だ」とか言われそうでどきどきしたんですが(なんかいつもこういうのが振りきれません。ムグっってなってしまいます)……なんか感想に…ビカビカとくるものがあって……暗に受け取ったなにかが完璧で…今あなた…あれっ末節の方の各論になってはいませんかぐらいの…映画においてはちょっとすごい感想なのではないかと思いました。なんか完璧な宇宙が向こうにのぞいてるみたいな気持ちしました
成長を目指さなくてよくなったとき、はじめてスタートラインに立てる気がします。自分が存在していること、すべてが存在していることそのことの不思議を感じて、その大本に対しての問いが出てしまう感じがします。成長しようとしているとき、自分が成長するために存在しているのだと答えを出してしまっているのだと感じています。でもその答えは自分だけのためでありエゴである感じがしてきました。この世にはもともエゴなど存在しえない感じがしています、それは誰もその答えを知らないという真実があるということです。答えがないというのはエゴが存在しえないと感じました。和という映画は中立にあり、エゴがないと感じました
映画の中の問いも、暗に出てくる問いも、それにあなたはなんて答えるのでしょう・・も、問いだと思いました。答えた時、中立は崩れているのかもしれないと思いました。
トラさんの戦争を肯定する発言のバックにはバッハの曲が流れる・・というシーンだけでも、すごい視点の広さを感じます。バッハの曲はどんなのがあるのかなとちょっと調べたら、そんなに音楽に詳しくない私でも、知ってる曲がいくつかありました。そんなバッハの曲をバックに、ほとんどの人とは違う視点の意見をトラさんが言われるのだと思います。また背景音楽を流さないことで、ラストシーンの主題歌へ向かわせるということもされたり、背景音楽を工夫して付け加えられたことで、「和」がますます素晴らしい映画に出来上がってきてるんだと思います。その制作の過程で、スタッフさんたちの評判がとても良い「和」なのだと思います。その理由がとても中立ということなんだと思います。普段の生活の中でも、中立でいるというのは、案外とても難しいことではないかと思います。さらに、何か物を作り上げたり、発表するとか、そういうときは、自分の思いや考えを表す…ということをするのが多いのではないかと思います。特に映画などはそうだと思います。でも「和」は中立を保っているのだと思います。これはほんとにすごいことだと思います。そしてその中立が、スタッフの方々がとても良いと思われるんだと思います。中立というのは、何かを目指していない感じがします。でもだからと言って、何もしないでもないと思います。成長には何か向かう先があって、そちらへ向かわなければならないような感じがあります。成長しようとするとき、何かたくさんのものを切り捨ててしまっているようにも思います。なのになんで成長しようとするのか、成長することがいいこととされているのか、考えているとますますわからなくなってきます。
バッハの曲をちょっと聴いてみました。喫茶店でコーヒーでも飲みながらゆったりした気持ちで聞いている気分になりました。こんな感じの曲が流れる中、戦争を肯定する発言があるんだと思いました。日常生活では気づかないところで一つの意見に流されてしまっていると思いました。そういうところを敏感にキャッチしていく感覚が自分にあるかなということを思いました。スクランブル交差点では背景音楽がなくなってスクランブル交差点を見てみた人一人一人が、ラストシーンの主題歌に向かって思いを持つのだなと思いました。言いたいことがあるのは成長を目指しているからなのかと思いました。何かを目指さない中立というのがスタッフさんに評判がいいのだと思いました。