映画「ワンネス」 シャボン玉 2013/04/03 7:25 AM 映画の中で、シャボン玉は重要な役をします。 ゼロ次元をシャボン玉で表現するからです。 私たちは地球の表面に住んでいます。 地球の内部には行けません。 けれどゼロ次元は、その内部になるのです。 主人公はゼロ次元に飛ばされますが、そこで運命の仕組みを知ります。 運命をつかさどっているのは、ゼロ次元だったからです。 ところでこの写真でリボンが舌を出していますが、シャボン玉を一個食べたあとです(笑) シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 オーディション 映画「ワンネス」 ツチブタ » コメント なんしぃ より: 2013/04/03 08:11 表面に住んでいるとどこまで行ってもそこは中心でもあり中心以外でもある感じがしました、シャボン玉の内部に飛ばされた智也は運命の仕組みを知るのだと思いました。今を大切に生きるのは死に向かって生きていると我々は知っているからのように感じます、映画ワンネスでは前世記憶がある智也が死んでも死なないということを知った上で今度は運命というルールの問題に受け身的に取り組んでいる姿を感じました。運命もルールのように感じます、その人が主体的に努力したり気力でなんとかできるものではない感じがします。主体的にどうすることもできないのが運命である感じがします運命という何か決まったルールの配下にあるのだと感じます。智也はゼロ次元に飛ばされたのは本人が主体的に飛び込んだのではないと感じます、なんというか偶然のように見えてそれは神の采配で飛ばされたような感じがします。神の采配もルールのような感じがしました、神はルールのような感じがしましたその仕組みを智也には知って欲しいような感じがして神は智也に知らせたい感じがしました。運命の仕組みを知らせたいのは神である感じがしました。神は智也が好きである感じがしました。 みっく より: 2013/04/03 11:11 表面にいたら、どんなに頑張っても何をしても、表面しか見えないと思いました。というか、内部があることもわからないと思いました。主人公は思いがけず飛ばされたゼロ次元で、思いがけず、運命の仕組みを知るのだと思います。そのゼロ次元を、小さい子どもが好きで、可愛くてはかないシャボン玉で表されるというのが、なんだか、とてもいい感じに思います。 和佳 より: 2013/04/03 14:03 >けれどゼロ次元は、その内部になるのです。 すごいです。何度読んでもすごいとおもってて…シャボン玉内部…シャボン玉はすけて見える、割れればなにもなかったのよう…それにこれホントお写真が興味深く…面白いと思います。お写真は口でふいてるところで…オギャーとないて生まれてくる私達です。なんか運命…めちゃかんがえさせられます。 どせい より: 2013/04/03 23:01 映画ではシャボン玉は、ゼロ次元を表していて、重要な役なのだと思います。 私たちは、地球上の表面に張り付くように生息していると思います。だから、球の表面にいるだけで、内部にはいけないです。 ですが、ゼロ次元は、その内部なのだと思います。運命をつかさどっているのも、その内部であるゼロ次元なのだと思います。 ばらんす より: 2013/04/04 03:15 シャボン玉は子供のころには誰もが作って楽しんだ記憶があるとても親しみのあるものだと思います。シャボン玉は外から入ろうとすると割れてしまって中に入れなくて、ゼロ次元のアナロジーになっているのだと思いました。智也は普通はいけないゼロ次元に行くことで、運命の秘密を知ることになったのだと思いました。シャボン玉は私たちに近い空間に漂いますが、私たちが普通は行けないゼロ次元もそんな身近にあるのだなと思いました。 まるこ より: 2013/04/04 14:20 リボンちゃんは地球の表面(三次元)にいながらゼロ次元をペロリンチョと食べてしまったんですね(笑)運命を司っているゼロ次元をシャボン玉で表現するという発想がすごいと思います。というか、ゼロ次元という発想自体をこれまで全く聞いたことがありません。一体どんな世界なのか、本当に楽しみです。
表面に住んでいるとどこまで行ってもそこは中心でもあり中心以外でもある感じがしました、シャボン玉の内部に飛ばされた智也は運命の仕組みを知るのだと思いました。今を大切に生きるのは死に向かって生きていると我々は知っているからのように感じます、映画ワンネスでは前世記憶がある智也が死んでも死なないということを知った上で今度は運命というルールの問題に受け身的に取り組んでいる姿を感じました。運命もルールのように感じます、その人が主体的に努力したり気力でなんとかできるものではない感じがします。主体的にどうすることもできないのが運命である感じがします運命という何か決まったルールの配下にあるのだと感じます。智也はゼロ次元に飛ばされたのは本人が主体的に飛び込んだのではないと感じます、なんというか偶然のように見えてそれは神の采配で飛ばされたような感じがします。神の采配もルールのような感じがしました、神はルールのような感じがしましたその仕組みを智也には知って欲しいような感じがして神は智也に知らせたい感じがしました。運命の仕組みを知らせたいのは神である感じがしました。神は智也が好きである感じがしました。
表面にいたら、どんなに頑張っても何をしても、表面しか見えないと思いました。というか、内部があることもわからないと思いました。主人公は思いがけず飛ばされたゼロ次元で、思いがけず、運命の仕組みを知るのだと思います。そのゼロ次元を、小さい子どもが好きで、可愛くてはかないシャボン玉で表されるというのが、なんだか、とてもいい感じに思います。
>けれどゼロ次元は、その内部になるのです。
すごいです。何度読んでもすごいとおもってて…シャボン玉内部…シャボン玉はすけて見える、割れればなにもなかったのよう…それにこれホントお写真が興味深く…面白いと思います。お写真は口でふいてるところで…オギャーとないて生まれてくる私達です。なんか運命…めちゃかんがえさせられます。
映画ではシャボン玉は、ゼロ次元を表していて、重要な役なのだと思います。
私たちは、地球上の表面に張り付くように生息していると思います。だから、球の表面にいるだけで、内部にはいけないです。
ですが、ゼロ次元は、その内部なのだと思います。運命をつかさどっているのも、その内部であるゼロ次元なのだと思います。
シャボン玉は子供のころには誰もが作って楽しんだ記憶があるとても親しみのあるものだと思います。シャボン玉は外から入ろうとすると割れてしまって中に入れなくて、ゼロ次元のアナロジーになっているのだと思いました。智也は普通はいけないゼロ次元に行くことで、運命の秘密を知ることになったのだと思いました。シャボン玉は私たちに近い空間に漂いますが、私たちが普通は行けないゼロ次元もそんな身近にあるのだなと思いました。
リボンちゃんは地球の表面(三次元)にいながらゼロ次元をペロリンチョと食べてしまったんですね(笑)運命を司っているゼロ次元をシャボン玉で表現するという発想がすごいと思います。というか、ゼロ次元という発想自体をこれまで全く聞いたことがありません。一体どんな世界なのか、本当に楽しみです。