映画「ワンネス」 違和感

2014/02/17 7:35 AM

 20140216084748DSC00824曲がった傘 
 写真は、大雪の日にさそうとしたら、すでに曲がっていた傘です。
 なんか変でしょう?(笑)
 サインには、「なんか変」というのが付き物です。
 でも、そうでないとサインに気づいてもらえないからかも知れません。
 映画の中に採用になった鼻笛もそうです。
 コンピュータの中でのシーンです。
 最初、スタッフは言いました。
「鼻笛は大自然の中で似合うんじゃないかな」
「ですよね、デジタルな世界にアナログの音は、ちょっと違和感があるかな」
 僕は言いました。
「その違和感がこの映画の伏線に繋がります」
 というわけで鼻笛が採用になりました。
 実際に挿入するとスタッフは言いました。
「おお、いいねえ、すごいよ」
 コンピューターの中のラストシーンで、鼻笛が響きました。
 素晴らしいです。
 違和感はほんの微弱です。
 その違和感を感じないと、サインは受け取れないのではないかと思います。


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コメント

  1. まりん より:

    サインを送る前に、違和感を感じさせるような神は、とても優しいです。「そうでないとサインに気づいてもらえないからかも知れません」は本当にそうだなって思いました。壊れた傘の写真は神が送ってきた違和感、とても微弱で繊細な感じです。非日常の衝撃的な出来事ではなく、日常のほんの些細な出来事を使って一瞬「ん?」と立ち止まるような違和感を作りだしてくれてるんだと思いました。それはサインに気づいてもらうため、目に見えない場を感じてもらうため、それを発見してるもりけんさんの眼差しも優しいです。コンピュータの中の鼻笛のシーンでそんな違和感を私たち観客が感じられるように再現してくれてるのも、そんな優しさを感じます。

  2. みっく より:

    柄が曲がった傘・・どうやったらそんな風に曲がるのかなというような感じです。傘を見て、なんか変・・と思ったことが、同じようにスタジオでもあったのだと思います。なんか変・・というのは、今までとは違う、何かつじつまが合わない感じにも思います。でも、こりゃあ違う!という大きなものではなくて、なんか変・・は、ほんとに微弱だと思います。こりゃあ違う!だったら、やってみようともならないと思います。ちょっとした違和感を感じながら鼻笛を流したらこれがとてもよかったのだと思います。違和感そのものが映画にマッチしたのだと思います。背景音楽の素材で重要な違和感を表すということもすごいなと思います。

  3. 和佳 より:

    大雪でかささそうと思ったら…傘がまがってたんだなと思いました。すでに曲がってたって…なんかすごくなんていうか…微妙だなぁて感じました。どうしてかというと…東京は本当に大雪だったから…その日に限って傘が曲がってるという状況…あるっていえばありえるけど…この日にかよ…みたいな。……もしも雪が大嫌いだったら困ったなーってなるかもだし…待ち合わせとかしてたらそこまでどうしようかと考えるかもしれない。…なんていうか…その日必要で必ずつかいそうなものが…出したらなんだかたまたま曲がってるなんて………なにか…そういうこともあるんだけど…なにかうまくいえない…むぐっってなる…お話です。鼻笛のお話がデジタルな中にアナログにあらわれるなにかなら…傘のお話は大雪という大気のなんか切れ目悪いアナログの中に奇妙なデジタルみたいな(なんで必要なときに…いつもとちがうみたいな…)。これって普通の考え方だと…あーついてない不幸だー誰がやったんだーみたいになっちゃうんじゃないかなっておもいます。そういうのにいかないで(裁きがないのと近い気がします)…なんか違和感(「サイン」)である…というのはメチャすごい話だなって思います。なんていうかお話伺ってると…だいたいなにかの異変とか不連続なものって…時に切り捨てられるか失敗みたいに思われることが多いけど…どうもそうじゃないのかも…みたいな気がします。…それどころか向こう側がひょっこりのぞいてる時みたいなものだとしたら…なんだか…そう考えた人っていないのではないかと思うし…ものすごいお話だなって思います。 私もそんな風に違和感をかんじられてないなと思います。映画ではその変が表現されるというのがすごいと思いました

  4. こはな より:

    違和感は無意識からの通信を受け取った感覚なのかもしれないと思いました。「なんか変」って思った瞬間、無意識に問いを発しているのかもしれないと思いました。

  5. まるこ より:

    自分が音響スタッフだったとしても全く同じことを言うと思います。デジタルな世界にはデジタルな音が合うと。でもそれは結果の世界に結果の音を合わせるようなものなのだと思いました。サインは原因の世界から来るのだと思います。原因の世界から来るものは結果の世界とはマッチしない。マッチしていたらサインとして機能しないのだと思います。時空は違和感という方法を使って結果の世界に原因の世界の情報を伝えているのだと思いました。そしてそれはとても微弱な差異なのだと思います。つねに外側への感度を上げておかなければサインはキャッチできなさそうです。

  6. 小町 より:

    傘の柄が曲がったことをサインと受け取るのは、違和感が無いとできないと思います。自分が原因だとしたなら、サインは察知できないんだと思いました。本当に傘が曲がったことを誰だとかしているうちにサインが無くなると思います。人類はそうやって、サインを感じない方向に進化していたと思います。動物の方が敏感に環境の変化を見ていたと思います。地震の前に蛙が鳴きやんだとかネズミがいなくなったとかたくさんの事例があります。少しの違和感をサインとしていたからだと思います。もりけんさんが無意識に違和感を受け取っていたことは、もしかして動物的な本能と言えるかもしれません。だって無意識との交流は動物の方が長けています。意識がその本能を封じ込めてしまって、サインが出ているのに気がつかないで、神をガッカリさせていると思ってきます。私は決して、本能がいけないなんて思っていません。本能は絶対に自分を裏切っていないと思っています。だけど違和感がなんであるかは、もっと考えたいです。

  7. なんしぃ より:

    もりけんさんの本を読んだときに、占いができるのに自分の未来を変えるつもりはないと書いてあってそこがとても引っかかりました。占いができて未来を知っても、自分からコインを振らないと書いてあってなんだか変だなでした。自分の人生を自分で切り開こうとか自分の未来は自分で作るものだと思ってきたので、もりけんさんのいっていることがとても違和感がありました。なので違和感ということは、今まではよくないこととか合わないこととか思ってきましたが、違和感こそとても大切な未来からの最初のメッセージであるような感じがしてきました。違和感を感じるということの大事さをとても感じました

  8. 桃有 より:

    なんか変でしょう?と問われたら、「そういわれてみると変かも」と思えますが、普段なら「あー。傘曲がってしまった」ぐらいに思ってさらっと流してしまいそうだと思いました。でもサインは、さらっとながすことも簡単にできてしまうようなとても微弱なものなのだなと思いました。「なんか変?」と思うより、「どこかにぶつけたのかな」とか、出来事が起こった理由とか考えてしまいそうだなと思いました。鼻笛は大自然の中で似合うから、デジタルな世界にはアナログの音はちょっと違和感があるとか、もともとのことに目がいっていないと気づけなさそうだなと思いました。

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