主題歌の歌詞は難解です。出だしからしてこうです。
「耳を澄ませて ワッチする
一千キロ彼方から
電子の乱舞が 地球を覆い
君の声を 運んでくる」
これを分かるように説明をすべきでしょうか?
私はそうは思いません。
映画の中でも一般的でないマニアな世界が展開されます。
これも、分かるように説明すべきでしょうか?
そうは思いません。
分からなければ、問いを持てばいいんです。
「和」という映画そのものが、問いを問いかけているとも言えます。
問いかける映画ではなく、問いを問いかける映画です。
だとすれば、難解な単語も、ほっておけばいいんです。
というスタンスです。
文句ある?(爆)
分からなければ問いを持てばいい…ってのはなんかスゴイなって思いました。普通は…分からなければ答えが見つかるまで探せばいいとか…それぞれの解があるとか…映画もひとつの解だとか…それからわざとはっきりせずに…各自に解を投げかけてくることもあります。…和の主題歌や映画で説明というのしないのは…問いをもったら?だったんですね。わー…っておもって…私は問いというものが 出てこないし…非常に苦手だ…とおもってきたんですが…映画では…流れに乗ってるつもりが…あれっ?!いまなんて?!ってなって…なにかが…瞬間的にモゾモゾとかムズムズ~って 顔覗かせそうになったみたいなとこいっぱいあったんです。これがまた…すごい奇妙な感覚で…なにかフレッシュなものがそのまんま…信号、解析不能、ダイレクトに0.5秒前から転送されます!とにかくまずキャッチして!みたいな…えっえっってあわてふためいて…でもなんか頭の起動する余地もなく…自分(私情?)交えず?ダイレクトに…何?(の元)みたいなのに……何かに…繋がる感じがなんともいえなかったです。問いの元型みたいなものが湧き上がっては出てこれず…みたいな感じではありましたが…映画、なんかいっぱいシグナルがやってきて…ダイナミックでした。なんかハァハァして楽しかったです。でも…これは『和』という映画がいいんだとおもいました。見てもわかんなかった映画ってのは今までにもあるけど…この映画は…テンポとか編集とか題材とか…とっても素晴らしいんじゃないかなって思います。まだうまくことばになりませんが…なんか問い…というとゴツくて硬い頭のいい人のなんかみたいなものと思ってたんだけど…なんか映画のムズムズ ポワポワには…ちょっと未知のもの感じてました。歌も同じく映画のそういう大事な性質そのまま伝えてるんだなって思いました。
なんかすごいなっておもって…問いを問う…。問いの部分がどうかって…スゴイことに思ったです。なんというか…問いってフッ思ったりムクムクと反論したくなったりのその辺も 問いの仲間的っていうか似たものっていうかにおもうし…なにか自由にならない運命の…微妙なとこに思いました。問いを問われるってなかなかないのですが…本当に運命に関わるなんかすごい話なんじゃないかなって思いました
文句ないです(笑)
もし、全部解説されたら・・そこで終わってしまうようにも思います。森田さんは、「問い」を大切にされていて、見ている方、聞いている方にも、「問い」を問いかけられてくださっていると思います。一般的には、「答え」を大切にしていて、「答え」を得ようとしているのかもしれないです・・。でも、森田さんは、「答え」を得ることより、むしろ「問い」を持つことを大切にされていると思います。・・・、問いを問いかけられることによって、着地せずに浮遊していられる気がします。何だか、「和」のエンディングに登場するグライダーみたいです(笑)
分からなければ問いかければいい。ほんとうにそう思います。映画「和」を見て感じていることのひとつ。それは、自分はいままで全然問いかけてきてないんじゃないかということです。問いかけられる映画ではこうは感じなかったかもしれないです。問いを問いかけられたから、感じていることかもしれないです。これがどういうことなのか全然分からないですが、だからこそ問いかけてみたいです。
詞がワカラナイから聞けない歌は無いと思います。歌を聞いて問いを問いかける、自分の中が歌によって問いを持つことになると思います。答えなんかいらないとさえ思います。答えがわかる歌なんて、ずっと聞けないと思います。映画も答えだと一回だけで終わってしまいます。自分で考えて歌に映画に問いかけるって、何度でも出来るのが楽しいです。説明されてわかった気になる方が実はワカラナイよりタチが悪い気がします。受け身は考えないことではないんだと思ってきます。
問いが生まれたらどこかまたワカラナイところへつながるんじゃないかと思いました。