映画「ワンネス」「和」 神を信じると救われるか? 2014/05/21 7:57 AM 神を信じることが何かの影響があるかといえば、私は無いと思います。 物理の法則は、それを信じようと信じまいと、同じように作用します。 私がやっている運命の研究でも同じです。 風水は信じようと信じまいと、作用してきます。 もしも神が信じるものだけを救うとすれば、なんてチッチャイ神だと思いませんか? 人間社会でも同じです。 「あなたを信じている」と異性が言う時、それはあなたを縛る言葉のはずです(爆) シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 神は受け身的か? 映画「ワンネス」「和」 神は人間の自由を認めてこなかった » コメント まるこ より: 2014/05/21 15:30 私たちがこの世に生まれるとき、神を信じているかどうかなんて関係なかったです。気がついたら生まれていました。無条件スタートでした。でもそれは無条件で人間を存在させる法則が作用しているから可能なことだと思います。神がその法則を作った存在だとすれば信じるとか信じないとか関係ないんじゃないかと思います。スタートは無条件なのにそのあとに条件をつけるのであれば最初から作らなければいいです。でもそんな条件付きのチッチャイ神を思ってきたのが私たち人間だと思います。 和佳 より: 2014/05/21 16:10 最近、ある人に信仰があるのかを聞かれたことがありました、私はそれについて会話を交わしました。その時のこと…なにかひっかかってて……もりけんさんの書き込みをよんでおもいました。…そういう会話って「神」といえば個人の信仰の問題という暗黙の認識があったから成り立ったんだなって。もりけんさんのばあいは 個人の信仰上の問題というのは まったく関係ないんだなとおもいます。さらに…神を信じると…救われたり ご利益があったり 信じないと罰せられるようなのは …信じる信じないより先に進んでしまってるので もっともーっと関係ないんだと思います。。「神」っていうとなにか慣れ親しんだそういう信じる関係のものが よぎってしまうので…もりけんさんが言ってる場合の「神」って…いままでに考えたこと無いタイプのものだなと思いました。信じようが信じまいがおかまいなしで物理法則みたいなどこでも同じように作用してるなにかが神てかんがえたことないなって思います。物理法則みたいななにかっていうのがすごいとおもいます。初めて考えられてる「神」の概念、性質ではないかと思います まりん より: 2014/05/22 00:22 これまでもってた神のイメージのひとつに信仰もあるなって思いました。神を信じることが求められて、信じないものには神からの恩恵はないようなイメージです。神の恩恵に対して人間が信仰心をもつこと、まるでギブアンドテイクみたいです。それは人間社会でも同じです。自分が信じるかわりに相手に要求してると思うからです。それに、信じてるという言葉のうらには、信じられない場合があるからだと思います。 でも、物理の法則は信じる信じないに関係なく作用してるし、ギブするだけの法則で見返りを求められることはないです。風水も運命も、そんな物理の法則のように作用してるのかもしれません。起こった出来事に一喜一憂して、神や見えない何かと結びつけて、報いとか天罰とか意味づけしてるのが私たちで、実際にはルール通りに作用した結果だとは考えもしなかったです。 物理の法則や運命の法則、風水といった仕組みは、それを信じる以前に気づいても気づかなくてもずっと作用しつづけてきたんだと思います。それがあって初めてこうして存在できるのかもしれないのに、なんの見返りも感謝も求められたことはないです。これまでイメージしてきた信仰を求める神とは全く違います。物理の法則のようにすべてに作用し続けてる神に「信じてます」と言い続けてきたのは、人間のほうが神を縛ってきたのかもしれないと思いました。 こはな より: 2014/05/22 01:08 風水は信じようと信じまいと作用する・・物理の法則と同じ性質だと思われたのだと思いました。運命を解明するため、仮に置いた神も、やっぱり信じようと信じまいと運命に作用するものなのかもしれないと思いました。
私たちがこの世に生まれるとき、神を信じているかどうかなんて関係なかったです。気がついたら生まれていました。無条件スタートでした。でもそれは無条件で人間を存在させる法則が作用しているから可能なことだと思います。神がその法則を作った存在だとすれば信じるとか信じないとか関係ないんじゃないかと思います。スタートは無条件なのにそのあとに条件をつけるのであれば最初から作らなければいいです。でもそんな条件付きのチッチャイ神を思ってきたのが私たち人間だと思います。
最近、ある人に信仰があるのかを聞かれたことがありました、私はそれについて会話を交わしました。その時のこと…なにかひっかかってて……もりけんさんの書き込みをよんでおもいました。…そういう会話って「神」といえば個人の信仰の問題という暗黙の認識があったから成り立ったんだなって。もりけんさんのばあいは 個人の信仰上の問題というのは まったく関係ないんだなとおもいます。さらに…神を信じると…救われたり ご利益があったり 信じないと罰せられるようなのは …信じる信じないより先に進んでしまってるので もっともーっと関係ないんだと思います。。「神」っていうとなにか慣れ親しんだそういう信じる関係のものが よぎってしまうので…もりけんさんが言ってる場合の「神」って…いままでに考えたこと無いタイプのものだなと思いました。信じようが信じまいがおかまいなしで物理法則みたいなどこでも同じように作用してるなにかが神てかんがえたことないなって思います。物理法則みたいななにかっていうのがすごいとおもいます。初めて考えられてる「神」の概念、性質ではないかと思います
これまでもってた神のイメージのひとつに信仰もあるなって思いました。神を信じることが求められて、信じないものには神からの恩恵はないようなイメージです。神の恩恵に対して人間が信仰心をもつこと、まるでギブアンドテイクみたいです。それは人間社会でも同じです。自分が信じるかわりに相手に要求してると思うからです。それに、信じてるという言葉のうらには、信じられない場合があるからだと思います。
でも、物理の法則は信じる信じないに関係なく作用してるし、ギブするだけの法則で見返りを求められることはないです。風水も運命も、そんな物理の法則のように作用してるのかもしれません。起こった出来事に一喜一憂して、神や見えない何かと結びつけて、報いとか天罰とか意味づけしてるのが私たちで、実際にはルール通りに作用した結果だとは考えもしなかったです。
物理の法則や運命の法則、風水といった仕組みは、それを信じる以前に気づいても気づかなくてもずっと作用しつづけてきたんだと思います。それがあって初めてこうして存在できるのかもしれないのに、なんの見返りも感謝も求められたことはないです。これまでイメージしてきた信仰を求める神とは全く違います。物理の法則のようにすべてに作用し続けてる神に「信じてます」と言い続けてきたのは、人間のほうが神を縛ってきたのかもしれないと思いました。
風水は信じようと信じまいと作用する・・物理の法則と同じ性質だと思われたのだと思いました。運命を解明するため、仮に置いた神も、やっぱり信じようと信じまいと運命に作用するものなのかもしれないと思いました。