映画「和」 知らなくて当然 へのコメント http://fushiken.com/themovie/?p=2060 ワンネス 運命引き寄せの黄金律 / 和 / 生まれ変わりの村 Thu, 26 Mar 2015 23:55:47 +0000 hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.1 みっく より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-90646 Thu, 23 Jan 2014 01:39:30 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-90646 知らなくて当然・・というのは、自分の答えというのを持っていないんだと思いました。だからもりけんさんは、他の人が信じられないというようなお話もそのまんま受け取れるのだと思います。それで今まで人類が知らなかった事実が明らかになってきたと思います。知っているつもりでいると、自分たちが知らないことを知るということはできないみたいに思いました。もりけんさんにお話してくれた方も、自分の話をそのまんま受け取ってくれた人はもりけんさんが初めてだったのではないかと思います。すごくうれしかったと思います。真実が目の前にあっても、自分で答えを持っていたり、知ってるつもりになると、その真実はスルーされてしまうんだと思いました。

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こはな より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89693 Tue, 21 Jan 2014 16:36:52 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89693 もりけんさんは知らないから、自分で不思議研究所を作り、周りに聞いているのだと思いました。もりけんさんが出会って聞いた生まれ変わったの方の話では、裁きもカルマもなかったのだと思います。もりけんさんの調査でしか聞いたことのない情報です。

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小町 より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89599 Tue, 21 Jan 2014 11:22:05 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89599 私が今、考えていることだって、どこかで覚えた知識ばかりを羅列しています。その知識の多くは学校や親からだったり、本からの知識がほぼ100%だと思います。そして知らないは恥ずかしいことだと気がつくとなってしまっています。カルマや裁きもその知識に過ぎないのに信じてしまっています。もりけんさんのように1から問うこともなかった気がします。世の中全部が本当は不思議なんだと思います。知らないのに知ったふりをする方が実は楽なんだと思います。宇宙人だった人は自分の体験だと思います。だけどその体験は知っているつもりに阻まれてしまうんだと思います。本当に知っていることが通らないこと、信じたのは世間の方だというのも、もしかしたら自分を信じていないせいだと思ってきます。

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まりん より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89587 Tue, 21 Jan 2014 10:55:38 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89587 前世を教えてくれたり、ヒプノセラピーといった催眠療法など、前世を知るのにたくさんの方法があふれてます。そして、そこでも親を決めてきたり、生まれてくる目的を決めてきたというような情報が出てきたりします。それも、知ってるつもりの先入観や、それがあるという前提から問うからなんじゃないかと思いました。実際にいろいろな国に生まれて、その記憶があり、いろいろな国の言葉を話すことができる証言者の方は、そんな先入観や勝手な想像を超えてます。そんな方が証言してくださったことも、それ以前にその方と出会えたことも、もりけんさんが「知らなくて当然」を生きてるからだと思います。問いそのものが、前提や先入観に染まってしまってたら、裁きやカルマはないという証言とは出会えないんじゃないかと思うからです。先入観いっぱいの自分ではきっと一生知ることができなかったと思います。もりけんさんを通して私はこうして情報を知ることができてるんだって思います。もりけんさんから、たくさんの問いと情報をもらってばかりだって思います。

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まるこ より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89415 Tue, 21 Jan 2014 06:07:41 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89415 「知っているつもり」と「知らなくて当然」をレーダーに例えるとどんな感じになるのだろうと思って考えてみました。例えば本の知識だけで知っているつもりになった時点で一点に着地します。そして、その一点から発信される電波は「私は知っている」電波なのだと思います。「私は知っている」電波は「知らないことはない」という性質を持っています・・・といったことを考えていて、なかなかうまくイメージできないのでどうしてだろう考えて気づきました。レーダーってそもそも自分の外側が分からないから飛ばすのでした。めちゃくちゃ当たり前のことですが、なんか自分にとっては新鮮な気づきでした(笑)自分の外側のことを知らないから電波を飛ばして探るのがレーダーなんだと思います。だから「知っているつもり」をレーダーに例えてイメージしてみてもうまく行かないのは当たり前なのだと思います。つまり「知っているつもり」には自分の外側の時空は存在しないのと同じことなのだと思います。存在するのは自分が立っている着地点だけ。その着地点が本の知識であれば、本の知識。自分の過去の経験であれば、過去の経験という一着地点だけ。「知っているつもり」は何をやっても、その一つの着地点をこねくり回すだけです。もちろん宇宙の仕組みを語ったとしても、その一着地点だけをこねくり回すしかありません。そもそもその着地点以外の時空は存在しないのと同じなので、時空の真実など分かるはずもないです。自分の外側である時空は、もりけんさんのように「知らなくて当然」で初めて出現するのだと思います。しかも「知らなくて当然」はどこにも着地していないです。なので内側も外側もないように思えます。そこには時空全体しかなく、レーダーの電波も時空の中を縦横無尽に飛んでいそうです。「知らなくて当然」という性格を持たれている、もりけんさんには、ずっと時空が存在していたのだと思います。でも「知っているつもり」でずっと生きてきた私には、時空は存在していませんでした。ここまで自分で書いておきながら、かなりショックです(笑)でももりけんさんが書いてくださったお陰で、生きている間に気づくことができました。いままでもずっと書いてくださっていたのに、全然気づけてなかったのだと思います。ほんとうにありがとうございます。

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なんしぃ より http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89280 Tue, 21 Jan 2014 01:23:13 +0000 http://fushiken.com/themovie/?p=2060#comment-89280 宇宙人という存在に対してもテレビや映画や本などから得た勝手な宇宙人像というものがあり、思い込みがあると自分のことを思いました。宇宙人に対しても、知っていると思い込んでいると、カルマや裁きがなかったとせっかく証言してくださっても、聞き逃すかもしれないと感じました。宇宙人のことを何も知らないことを当然としていないと、宇宙人との対話もできないかもしれないと感じました。自分の話を聞いてくれない相手とは、話すことも断念してしまうかもしれないと感じ、対話するときは何も知らなくて当然というスタンスでいつづけないと、相手の話をきちんと聞けないかもしれないと感じました。知らなくて当然はコミュニケーションの基礎かもしれないと感じました

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